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6000人の猟師が狙う2017年のワニ

フロリダ州のワニ猟シーズンは、8月から11月初旬まで。今年は、米国内の6000人の猟師に許可が下りた。昨年捕らえられたワニは7145頭にのぼる。

現在フロリダ州には、およそ130万頭のワニが生息しているが、70年代のように絶滅危惧種として保護されてるわけではない。近所に出没し、人間を襲うワニは、〈害獣〉として狩猟対象になっている。しかし、動物の権利を主張する活動家は、毎年のように猟に抗議している。

マット・マグナー (Matt Magner)のようなワニ猟師は、雨水処理区 (Stormwater Treatment Area、STA)の溜め池など、特定の区域での狩猟許可を証明するタグをもっている。彼らは釣り針と餌を使ってワニを捕まえるが、獲物を持ち帰るか、それとも肉、皮、頭を売るかは猟師の自由だ。

「ワニの習性はシカやブタと似ています」とマグナー。彼は、ワニ猟を始めて9年になる。「食物連鎖の頂点にいる捕食者なので、他のワニ以外、何も恐れません。それにとても賢いのです」

シーズンが終わる直前、オキチョビー湖 (Lake Okeechobee)の近くでワニを獲るマグナーと、その仲間に同行した。

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猟師たちは、サウス・ベイ(South Bay)にある雨水処理区(STA)の用水路沿いに車を走らせた。STAの人工湿地 は、オキチョビー湖から溢れた水を吸収する役割を果たしており、フロリダ随一のワニの生息地となっている。

Image: Zak Bennett

レイクワース(Lake Worth)出身のマグナーは、ワニに気づくとすぐ、釣り竿を構えながら、大急ぎで水路の土手に向かった。猟師たちは、釣り竿と針を使ってワニを岸に引き寄せる。

Image: Zak Bennett

サウス・ベイのSTAで、早朝のワニ漁に成功したあと、トラックの荷台を囲むジェレミー・ラニアン(Jeremy Runyon)、ジェイク・ベーカー(Jake Baker)、ジョー・ミラー(Joe Miller)、ケヴィン・ヘンケル(Kevin Henkel)、タイラー・ハントゥーン(Tyler Huntoon)。ワニ猟は、午後5時から午前10時までのあいだのみ許可されている。

Image: Zak Bennett

〈オール・アメリカン・ゲイター(All American Gator)〉の冷蔵車の荷台に乗せられた、仕留めたばかりのワニ。この会社の担当者たちは、夜間は猟場の外で待機し、朝になると猟師たちから獲物を買い取る。ワニ猟は、米国で猟師が獲物を販売できる、数少ない狩猟のひとつだ。この会社は、1フィート(約30センチ)につき15ドル(約1700円)で、猟師から直接ワニを買い取るか、肉を切り分けて皮を剥ぎ、報酬を支払う。ワニ肉の卸売価格は、1ポンド(約370グラム)につき8ドル(約900円)だ。

ワニ猟師たちは獲物を求めて、深夜、早朝に、サウス・ベイの雨水処理区の用水路沿いを行ったり来たりする。

Image: Zak Bennett

サウス・ベイのSTAで、仕留めたワニを測る2人の上に、25歳のカイル・パイノ(Kyle Paino)がライトを掲げる。

Image: Zak Bennett

サウス・ベイのSTAで、クリス・ホスリンガー(Chris Hoslinger)のトラックの荷台にワニを置くマグナーと猟師仲間。狩猟シーズンはそろそろ終わりを迎える。

映画『ホーム・アローン』 マコーレー・カルキンが仕掛けた罠の殺傷力

アチー!Image: Blu-ray.com

映画『ホーム・アローン』(Home Alone, 1990)と『ホーム・アローン2』(Home Alone 2 : Lost in New York, 1992)は、クリスマス・ホリデーには欠かせない名作だ。マコーレー・カルキン(Macaulay Culkin)が演じた主人公のケヴィン・マカリスター(Kevin McCallister)が、ジョー・ペシ(Joe Pesci)演じるハリー(Harry)と、ダニエル・スターン(Daniel Stern)演じるマーヴ(Marv)の、まぬけでのろまな泥棒コンビ、通称〈ウェット・バンディット(Wet Bandits)〉と戦う話。その決着をつけるクライマックスは、1作目も2作目も圧巻だ。しかし、戦い自体はフェアとはいえない。主人公ケヴィンは、〈Sっ気〉満載のトラップを、そこかしこにしかけまくる。そして泥棒コンビは、全てのトラップに引っかかる。ふたりはかなりの痛手を負っているはずだが、それでもケヴィンを追う。往年のワーナー・ブラザースのドタバタ短編アニメーションが実写化されたかのようだ。

しかし、もしこれが現実世界だったら、ケヴィンのトラップ攻撃は、人間の身体にどれほどのダメージを与えるのだろうか? その疑問を解決するべく、ニューヨーク市で働く救急士、ジョセフ・オヘア(Joseph O’Hare)に答えを求めた。オヘアは、2作品のエンディングを改めて鑑賞し、専門家の見地から解説してくれた。

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〈火炎放射攻撃〉
『ホーム・アローン』
被害者:ハリー 

診断:「II度かIII度の熱傷を負っているようですね。火炎放射器でのやけどの場合、真皮の下まで損傷し、より深部の組織まで及んでいるおそれがあります。本来なら、皮膚は焦げて真っ黒になり、重度の水ぶくれが発症します。患部の骨が露出している場合もあります。雪に頭を突っ込むのは適切な処置ですね。ただ、症状の重さによっては、そうする前にショック状態に陥る可能性があります」

治療:「すぐに命を落とすようなやけどではありませんが、結果として、命にかかわる危険性はあります。低体温症、血液量減少、感染症が心配です。また、私なら気道確保に注意します。気道を損傷している可能性がありますので」

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〈ペンキ缶攻撃〉
『ホーム・アローン』
被害者:ハリーとマーヴ

診断:「現実世界であれば、顔がつぶれているでしょう。歯も抜けるし、鼻は折れるし、缶が当たった衝撃と床に落ちた衝撃で、様々な骨が折れているはずです。脳出血が起きていてもおかしくありません。そこから出血性脳卒中を発症してしまうと死につながります」

治療:「頸椎を動かさないようにします。また、吸引をしっかりして、気道を確保します。折れた歯が詰まったり、体液が流れこんでいる可能性がありますから」

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〈レンガ攻撃〉
『ホーム・アローン2』
被害者:マーヴ

診断:「死にます。こんな患者、生きているはずがありません。頭蓋骨は、複数箇所割れているでしょうし、道の上には脳みそが飛び散っているのではないでしょうか。しかも、最初のレンガ1個でそうなるはずです。そのあと、頭の同じ部分に当たるレンガは、損傷レベルを高めるだけです」

治療:「救急士が意識障害を測るときに使うのが、意識清明(A:alert)、言葉に反応(V:verbal)、痛みに反応(P:pain)、反応なし(U:unresponsive)という4レベルの〈AVPUスケール〉です。それに照らし合わせると、彼は意識清明ではありませんね。ハリーの質問に対する反応から明らかです。言葉には反応する〈Verbalレベル〉のようです。しかし、現実世界なら、反応なし、もしくは、死亡しているでしょう」

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〈トイレ爆発攻撃〉
『ホーム・アローン2』
被害者:ハリー

診断:「再び頭頂部の頭皮の熱傷ですね。しかも、前回より燃えている時間がかなり長いし、屋内です。おそらく前作の火炎放射器攻撃のときと同じような症状でしょう。骨が露出し、水疱ができ、皮膚が焦げる。今回は、建物全体が爆発しているようなので、おそらく全身に重度のやけどを負うはずです。そうなったら生きていられません。また、爆発した建物内の空気汚染濃度も高いでしょうから、間違いなく死ぬでしょう」

治療:「前作でのやけどとは違い、今回は植皮できる皮膚が彼の身体に残っていません。建物のなかなので、気道損傷の危険性も10倍以上に高まっています。様々な発がん性物質やその他有害物質も吸い込んでいるでしょう。これほどの現場で救助しなくてはならないとしたら、私の身の安全すら危ういですね」

AUDIOSLAVEからアナ雪まで カラオケ世界選手権2017

All official photographs by Arttu Kokkonen

あなたは、プライヤーレンチでぎっちり挟まれる感覚を知っているだろうか? 身長約190センチのフィンランド人メタル野郎にハグされたらわかる。私が保証する。ダニ(Dani)は、長い爪を私の腕に食い込ませながら、ステージ下のオーディエンスを眺めている。その視線はあまりにも熱心で、コカイン過剰摂取の疑いを抱かせるほどだ。

しかし、コカインはない。私は、酒さえ飲んでいない。私たちはいっしょに、GUNS N’ ROSESの「スウィート・チャイルド・オブ・マイン(Sweet Child O’ Mine)」を歌ったばかりなのだ。

パフォーマンス後、「だから俺は、カラオケが好きなんだ」と私の耳にツバを飛ばしながらダニは叫んだ。私たちは、10分前に会ったばかりだ。そんな私に、ダニはハイライズのジーンズを下ろして、尻に彫られたアクセル・ローズ(Axl Rose)のいびつなタトゥーを見せてくれた。「この地球で、今の俺ほどの解放感を味わったヤツが他にいるか?」

私の存在をすっかり忘れたかのように、ダニ〈十八番はGUNS N’ ROSES「ウェルカム・トゥ・ザ・ジャングル(Welcome To The Jungle)」〉は、次の曲をiPadに入れるため、部屋の向こう側へ歩いていった。

カラオケといえば、みんな、日本を連想するだろう。高層ビルのなかに設置されたガラス張りの部屋、良心的な値段で、外界から遮断された空間で、絶叫してもかまわない。まさに映画『ロスト・イン・トランスレーション』(Lost in Translation, 2003)のワンシーンのようで、ここまで「私は生きている!」と実感できる経験はない。日本でカラオケが発明されたのは1970年代。ホテルやバーなどに設置され、はしご酒のあいだ、アフター5に親睦を深めるために利用されてきた。

あまり知られていないが、実はカラオケ・スポットが溢れる街が日本以外にもある。フィンランドのヘルシンキだ。首都にしては小さな街だが、カラオケ・バーやカラオケ・クラブが約30軒もあり、街を歩けば数分で見つけられる。勝手にカラオケを設置しているパブもあり、その実際の数は計り知れない。それほどの人気なのだ。メタル専門カラオケ・バーもあれば、ゲイ・カラオケ・バーもある。更にカラオケ・ブースを完備している公営図書館もある。フィンランド人のカラオケ愛は、日本人よりも強いかもしれない。

「カラオケは、おじさんたちがバーで楽しむもの、家族みんなで楽しむものだと思っていました」と語るのは、ヘルシンキ滞在1日目に出会った25歳のショップ・アシスタント、サッラ〈Salla:十八番はアルマ(Alma)「Chasing Highs」〉。「私の祖父も、カラオケ・マシンを持ちこんではよく歌っていました。それが、今ではクールなんです。毎週金曜、土曜の夜は、友だちとカラオケにふらっと行くのが普通です」

他のフィンランド人からは、こんな言葉を聞いた。「日本人みたいに、私たちはシャイで控えめ」。また、感情を表に出すのも得意ではないという。「英国人が、〈自らを変わり者で言い訳がましい〉というのと同じ」。慣れたトーンでそういっていた。「どういうわけか、カラオケになると、自分を表現できるんです」とサッラ。「フレンドリーになるし、自分をさらけ出せます」

何であれ、好きなものには、とにかく良い形であってほしい。そんな気持ちを吐露してくれたのは、今回、私がヘルシンキを訪ねた理由であるイベントの主催者で、タトゥー入りの20代女性、ジョジョ〈Jojo:十八番はサム・スミス(Sam Smith)「ステイ・ウィズ・ミー ~そばにいてほしい(Stay With Me)」〉。彼女は、厳しい表情で〈良い〉カラオケ・スポットと〈悪い〉カラオケ・スポットについて説明してくれた。悪い場所は、「ホストがおらず、みんなが勝手に曲をエントリーするところ。誰もサウンドなど気にしないし、みんな酔っぱらっているから手がつけられない。サウンド・システムもひどい」。ちなみに英国のカラオケは、まさにそんな感じだ。セルフサービス・スタイルはつまらないらしく、「そんなのは良いカラオケとはいえない。私が愛するカラオケじゃない」と彼女はいう。

「文化的に、フィンランド人は歌うのが好きだし、やるからには真剣になる」とジョジョ。彼女の説はもっともだ。フィンランド人は、十八番を家で練習してからカラオケに向かう。だから、人前で歌うときには、歌詞も頭に入っているし、完璧な状態になっているのだ。しかし、矛盾しているようだが、「シラフではできない。そう、フィンランド人は酒の力を借りている」とも。日本人にとっても、社会的交流におけるストレスをなくし、潤滑に物事を進めるのに何よりも必要なのはアルコールだ。また、不思議なことにアルコールは、カラオケのパフォーマンスも高める。

ジョジョは、微笑むと、薄汚い窓の外を指し示した。「見て。1年のうち8ヶ月は、暗くて寒い。そんな8ヶ月を、飲んで歌って過ごすの」

ところで私が今回ヘルシンキに来たのは、知らない誰かと軽くカラオケの話をするためではない。〈2017年度カラオケ世界選手権(2017 Karaoke World Championships)〉のためだ。

大会の準決勝は、金曜の夜。くすんだ半島のくすんだ街で、これ以上ないくらい孤独だった。会場は工業団地のなか、女性がひとりで歩く雰囲気ではない。バルト海から吹きつける凍てつくような風が、冷えて赤くなった私の手に沁みる。ひとっ子ひとり見当たらない。私が今ここで叫んでも、誰の耳にも届かないだろう。

そんなとき、唐突に音が聴こえてきた。たたりの叫びのようなこの曲はよく知っている。EVANESCENCEの『Bring Me To Life』。私の十八番だ。奇跡だ。これは天からのお告げだ。

会場は、〈タパハトゥマケスクス・テラッカ(Tapahtumakeskus Telakka)〉。中年の危機を迎えた父親が、キッチンを飾るとしたらこんなふうになるだろうな、といった感じの空間だ。アーケードゲームが置かれ、煌びやかな赤やピンクの飾り付け、角度をつけて設置されたスポットライト複数台…。後方には、表彰式のセットも設置されている。出場各国がステージを向いたテーブルについていていた。ステージには巨大モニターが装備され、歌詞も表示される。また、入場料を払えば、一般客も観覧できる。カテゴリーは、男性部門、女性部門、デュエット部門の3つ。ホストはフィンランド代表で、もちろん、日本代表の姿もある。その他ブラジル、カナダ、インド、フィリピンなど、たくさんの国々から代表が参加しているが、私の母国、英国代表の姿は見当たらない。残念ながら、我が国は、人生に欠かせないエッセンスを失ってしまったようだ。

ただ、私にとって幸いなことに、アイルランド代表がいた。アイルランド代表とは、のちに友人となった。華やかな、すばらしい3名の女性だった。そのうちのひとりが、40代のエレーヌ〈Elaine:十八番はシャーリー・バッシー(Shirley Bassey)「Hey Big Spender」〉だ。母親であり、ピアノ教師でもある彼女は、ダブリンのパブで酔っぱらいながらカラオケで歌っていたら、いつの間にやら国の代表となっていたという。彼女の仲間、ルイーズ〈Louise:十八番はプリンス(Prince)「パープル・レイン(Purple Rain)」〉と、マギー〈Maggie:十八番はTHE PROCLAIMERS「I’m Gonna Be (500 Miles)」〉は、始まる前からバカルディ・ラムを引っかけている。彼女たちに会ったのは、誰でも利用できる第2カラオケ・ルームだった。「もう本当、笑うために来たって感じ」とエレーヌ。

各国代表の選出方法は、正直、定かではない。とにかく、国でいちばんのカラオケ・パフォーマーとなり、決勝と同じ週のはじめにあった予選を勝ち抜いた参加者たちが、今日、ここに集まっている。

メインの会場へ戻ると、男性部門のロシア代表、ヴィクトル(Victor)が、ステージに立っていた。スキニージーンズと、黄色&黒のストライプ柄ネクタイで、NOFXのファット・マイク(Fat Mike)みたいな格好をしている。かなり乱れた様子の彼が熱唱しているのは、OFFSPRINGの「プリティ・フライ(Pretty Fly -For a White Guy-)」。しっかりとしたアメリカン・アクセントだが、歌詞の抑揚とロシアン・ヴォイスとの噛み合わなさが気になる。ステージ上を縦横無尽に跳びまわり、ジーンズについているチェーンが、メトロノームのように揺れている。「Give it to me babaaay !」。彼の懇願がこだまする。

ステージ前では、ヴィクトルの仲間たちが、たくましいゴリラのように胸を打ち鳴らし、ビールをまき散らし、大きな声援を送っている。ステージ前は、誰であろうと、国旗を掲げて振り回していい。また運営側は、貧弱な応援団しかいない出場者のために、公式WhatsAppグループで、参加者に声援するよう呼びかけていたようだ。それもあってか、日本代表の男性は、ずっとステージ前でニコニコしながら、全ての歌でノリノリだった。ロシアの応援団はごく少数だった、とあとになって気づいたくらいだ。

「これはひどいな。もっと個性がほしい」と隣にいた背の低いヒゲ面の米国人男性がつぶやく。彼の名はトレイシー〈Tracy:十八番はGOO GOO DOLLS「Iris」〉。ロサンゼルスから来たソングライター、ヴォーカル・コーチで、かつては大会の審査員も務めたという。そして今年は、ライブ・ストリーミングのホストだ。フィンランドのメタル・バンド、自分がLORDIのヴォーカル・コーチをした、と3回も聞かされた。「自滅する参加者もいる」と彼は指摘する。「毎晩アフターパーティーがあるんだ。それに参加して、盛り上がりすぎたり、酒を飲みすぎたりして、声が潰れている」

私は、エレーヌが心配になってきた。「笑うために来た」という彼女は、きっとパフォーマンス前にアルコールを摂取しているだろう。

審査員の経験もあるトレイシーに、審査基準は何か訊いてみた。「テクニックと、ステージ上での存在感。あとは個性と選曲」と彼。「圧倒的な存在感がある最高の歌い手であっても、間違った曲を選べば、そこでゲーム・オーバー。試合終了だ。いかにもな曲を選んでもダメ。まあ、それを完璧に歌いこなしたら、もしかしたら、って場合もあるが」。「いかにもな曲とは?」と訊くと、トレイシーはレイ・チャールズ(Ray Charles)の「わが心のジョージア(Georgia On My Mind)」を歌い出した。なかなか歌い止めなかったので、私はうろたえた。

私たちが話をしていると、〈カラオケキング(King Of Karaoke)〉が堂々と登場した。背の低いインド人男性で、大きな赤いレザー・ジャケットを着て、インナーのTシャツの首元には、サングラスを引っかけている。キングの本名は、サヴィオ・ディーサ〈Savio D’Sa:十八番はレディ・ガガ(Lady Gaga)「You And I」〉。「2000年代からいままで、ずっとこの大会に出場している」とサヴィオ。会場内は暗いというのに、サングラスをかけたまま話してくれた。「だんだんしんどくなってきたけど、インド全土にカラオケを広めなくちゃならないからね」

サヴィオのパフォーマンスは、確かに卓越していたが、歌い手としての個性は薄かった。

赤い人工皮革のボディスーツを身にまとい、20センチ超えのヒール・ブーツでキメているのは、シンガポールの女性代表。母語で何かを歌うと、そのままパティ・ラベル(Patti LaBelle)の「Lady Marmalade」へと流れ、最後は180度開脚でフィニッシュ。続く北欧出身、ヤギのようなヒゲとアビエーター型のミラーサングラスが印象的なチャド・クルーガー(Chad Kroeger)は、AUDIOSLAVEを熱唱。彼は、私のカメラが彼に向いているのに気づくと、俺こそがチャンピオンだ、といわんばかりに、ものすごく挑発的な視線を送ってきた。更に、元チャンピオンのフィンランド男性代表は、全身黒の衣装をまとい、『アナと雪の女王』の「Let It Go ~ありのままで~」をフィンランド語で歌った。

彼の声と、優しい曲のチョイスは、彼自身の表情や体格、無造作なポニーテールと完全にミスマッチで、実に驚嘆した。トレイシーがいうところの〈良い選曲〉とは、こういうことかと納得した。顔色が悪く、尋常じゃない量の汗を流していた。顎をしゃくり、オーディエンスを見下すような視線を送る。1番のサビの終盤で、ヘアゴムを取り、髪の毛をバサッとひと振り。その瞬間、観客は「フゥー!!」と沸き立つ。完全なる勝利だ。曲の終わり、客席に背中を向けたと思ったら、涙目の顔で、バカにしたように、肩越しにこちらを見る。そして、ささやきよりも小さく、軽くキスするように、最後のラインだけ英語で歌った。「The cold never bothered me anyway(少しも寒くないわ)」

曲間には、スーツにブーツの司会者、マイケル〈Michael:十八番はビリー・ジョエル(Billy Joel)「White Wedding」〉が、次の出場者を煽る。彼はバックステージで、大会をもっと大きくしてたい、という野望を語ってくれた。大会を存続させたかったマイケルは、老齢の元主催者から大会の権利を購入したそうだ。彼は、英国人も今すぐ代表チームをつくるべきだという。私も本気で検討し始めた。エレーヌ、ルイーズ、マギーの3人もガヤガヤとはやし立ててくる。「自信もって! あなたもカラオケ上手だから大丈夫! 見たことないけど!」。でも、それが真理なのだろう。カラオケでは、みんながすばらしい歌い手なのだ。

夜10時。決勝進出者が発表された。エレーヌは、決勝に進出した。お祝いだ。またバカルディ・ラムだ。みんながハグや投げキス、お辞儀など、それぞれの文化ならではのジェスチャーで讃えあっている。決勝に残った出場者は、笑顔で拍手をしている。恨みがましい表情は誰にも見られない。それがカラオケなのだ。カラオケこそが平和。カラオケこそが調和だ。

そう、〈決勝まで〉は……。

そもそもカラオケとは何か? この週末、初めてその問題に向き合うことにした。オープンマイクのステージで、持ち曲を歌うのとは違う。特別にミックスされた専用のトラックもないし、歌詞の真意を理解している、といったプロフェッショナルさも期待されていない。モノマネ番組とも違う。歌マネはしなくてもいい。ドラァグ・ショーとも違う。今大会でも、女王の衣装を着たり、ホイットニー・ヒューストン(Whitney Houston)の曲を歌った男性が2人いたが、そこに政治的、反動的な要素はなかった。

カラオケとは何か。実際のところ、それは誰にもわからない。十人十色のカラオケ哲学があるかもしれない。笑いに走る国もあれば、豪華絢爛に魅せる国もある。例えば、カナダと米国は、合唱団がブロードウェイのミュージカル・ナンバーを披露した。また、母国の伝統衣装を着て、民族音楽を歌う参加者もいた。各国それぞれのステージングなので、比べようがない。英語ネイティブの審査員は、自分たちが理解できる歌詞、できない歌詞、あるいは、自分たちに耳なじみがあるメロディ、ないメロディのあいだに生じる無意識の偏見をどのように取っ払うのか、私は不思議だった。

決勝戦は、英国人にとってはつらい時間だった。冷やかし、酒が入ったパフォーマーたちは、丁重に追い出され、残ったのは、真剣な歌い手たちのみ(エレーヌを除いて)だ。みんな、常温のはちみつレモン水を飲んで、ヴォーカル・コーチからマッサージを受けている。控室では、出番を終えた出場者が、審査員に視線を送るのを忘れた、あの音に充分なビブラートがかけられなかった、と本人にしかわからないほどの過失を気にして荒れたり、叫んだりしている。ある女性参加者がメイクポーチに怒りをぶつけると、中身が床に散らばった。

ファティマ・スアレス〈Fatima Suarez:十八番はアナ・ガブリエル(Ana Gabriel)「Mexico Lindo Y Querido」〉の瞳は涙に濡れ、キラキラしたソンブレロ(メキシコの帽子)とぴったりだった。メキシコが参加したのは今回が初めて。29歳のファティマはビッグ・チャンスをモノにしたのだ。「娘と1日中歌っています。それも毎日」と彼女。「今は、カラオケ世界大会の2014年度優勝者に、ヴォーカル・コーチを頼んでいます。本気で取り組むようになりました」。今大会での優勝は彼女にとってどんな意味を持つのか、と尋ねると、彼女はうつむいた。「優勝したら、私の人生の全てを音楽に捧げようと決めています。歌さえあれば、世界のどこへだって行ける。わたしはあきらめません」

それにしてもバラードに次ぐバラード……。溢れんばかりの激情、愛、大失恋、そういった歌に、私はすっかり食傷気味になった。

アイルランド代表のエレーヌ

そのなかで、アイルランド代表だけが私の希望だった。エレーヌは、男くさいロックナンバーにノって、マイクを振り回す。舌を突き出し、中指をおっ立てる。決勝進出者のなかで、歌の上手さはピカイチとはいえないが、アイルランド代表は、最高のパフォーマンスを披露した。非常に男らしかった。誰よりも男らしかったかもしれない。そして何より、彼女たちは楽しそうだった。

残念ながら、それでは充分ではない。エレーヌは、賞レースから脱落した。しかし、彼女はまったく気にしていない。彼女は最高に笑っているし、それがゴールだったのだ。私の母親を誇るような気分、と伝えると、マギーは「母親だなんてひどいじゃない、私たちはみんな姉妹でしょ」と答えた。次の参加者が歌い始めた曲は、またラブソングだった。それを聞き、エレーヌとマギーは不平を叫ぶ。私も彼女たちに乗っかった。

私は不思議でならない。ロビー・ウィリアムス(Robbie Williams)の「Let Me Entertain You」をカラオケ・ブースで仲間と叫ぶ、燃え盛るような哮りはどこからくるのだろう? 自分を完全に解放したとき、〈悪〉に身を投じたときに感じられるあの荒々しさは? カラオケ世界選手権はカラオケを誤解しているんじゃなかろうか。それとも、私が間違っているのか?

最後になり、審査員が勝者を発表すると、みんなひたすら泣き濡れる。微妙な角度で国旗を掲げて前に出ると、フラッシュがピカピカと光る。参加者の家族も泣いている。「私たちは、世界中から集まった〈ファミリー〉だ」という事実を再認識させる演出だ。そしてやたら長くて感傷的な曲が流れる。ミュージカルの伴奏みたいな曲だ。どうにも落ち着かず、早く会場から出たくなるような曲だった。

というわけで、私とアイルランド代表は、その感情に従った。カラオケ・バスに逃げ込み、フィンランド出身バンドTHE RASMUSの「In the Shadows」でウォーミングアップして、アフターパーティーに繰り出した。

バーに行けば、フィンランド人たちのカラオケ愛がわかる。カラオケの待ち時間は2時間。そうなると、ひたすら飲んで、誰かが歌っているのに合わせて、狂いノリするしかない。私は、カラオケ世界選手権のロゴ入りサイリウムをテーブルに打ちつけた。すると、どこぞのご夫婦が、またフィンランドに来たらうちのサウナにいらっしゃい、と誘ってくれた。私も、英国に来たら連絡してください、と返した。

私が〈真のカラオケ〉と〈真のカラオケ・ファンたち〉の姿を見出したのは、友好的なカラオケ大会ではなかった。ヤギヒゲのフィンランド野郎どもが、メタル・ナンバーに合わせてトップスを脱ぎ、お腹のタトゥーを顕わにしてノリ狂う。そこには羞恥心などまったくない。100%全力で真剣なのだ。

大会不参加のダサい英国人を代表して、ハローキティのパーカーに、ビール7パイントで気合を入れた私は、ブリトニー・スピアーズ(Britney Spears)ヴァージョンの「アイ・ラヴ・ロックン・ロール(I Love Rock ‘N’ Roll)」でスラットドロップをかました。派手なスーツを着た中年のフランス代表の男性が、予備のマイクを見つけてバックコーラスで参加してくれた。私たちは、オーディエンスを大いに盛り上げた。私は、フロアに降り、アイルランド代表を見つけて、彼女たちといっしょにマイクに向かって声を張り上げた。笑いたいのに笑えないほど声がかれた。

カラオケ・スキルというのは、評価できるものじゃない。皮肉にも、世界大会によって、カラオケはルール無用、という事実が明らかになった。

カラオケはスタイルではない。最高の歌い手になれるチャンスであり、タガを外すためのフリーパスなのかもしれない。現実逃避というセラピーなのかもしれない。外界の雑音が遮断された状態で、3分45秒のあいだ、みんなが耳を傾けてくれる。それと同時に、誰かの曲を隠れ蓑にしているようでもある。知らない人の背中に飛び乗って、そのままべたべたの床を歩き回らせても誰も怒らない。セクシュアルであり、直観的でありながら、性別もない、プラトニックな世界だ。自分の伯母の結婚式で、a-haの「Take On Me」でダンスするのと同じくらい純粋で。心底、自発的な行為だ。私を見て、という気持ちはもちろんあるが、全員がそうなのだ。そこにはヒーロー崇拝も、ヒエラルキーもない。アウトロが終わったら、次のイントロだ。あるのは、カラオケ空間だけ。みんな外界のことなど忘れてしまう。

帰りのフライトを待っていると、エレーヌがWhatsAppグループに私を加えてくれていたことに気づいた。我を忘れた私たち4人が、いっしょにマイクに向かって叫んでいるビデオも送られてきた。メッセージは、エレーヌのイニシャル〈E〉とハートの絵文字で締めくくられている。くるったような動画だが、実に最高だ。

ドクターDEATHの自殺マシーン

2017年11月29日、オーストラリアのヴィクトリア州で、同国初の安楽死を合法化するための法案が可決された。施行は2019年6月だ。世界で初めて積極的安楽死が合法化されたのはオランダ。2001年に安楽死法が成立し、翌2002年に施行された。その他、ベルギー(2002年)、ルクセンブルク(2008年)、また米国のオレゴン(1994年)、ワシントン(2009年)、モンタナ(2009年)、バーモント(2013年)、ニューメキシコ(2014年)、カリフォルニア(2015年)の6つの州でも安楽死法が成立している。スイスでは、1940年代から自殺ほう助が合法であり、安楽死目的でスイスに渡航する〈自殺旅行〉があとを絶たない。韓国でも今年10月に尊厳死法が試験導入されるなど、世界中で、安楽死や自殺ほう助について議論されている。

1996年、患者に致死薬を注射し、安楽死を合法的に実施した初の医師がフィリップ・ニッツチク(Philip Nitschke)だ。彼は、世界的な安楽死論争において、推進派としてもっとも有名かつ物議をかもす人物である。

〈ドクター・デス(Dr. Death)〉というニックネームを持つニッツチク医師だが、彼はまさに〈安楽死の権威〉だ。自殺ほう助推進組織〈Exit International〉の創始者であり、自殺ハンドブック『The Peaceful Pill』の著者でもある。当初は、末期患者の安楽死のみを推進していたが、現在は、個々人に尊厳死を選択する権利があり、症状や何らかの基準により限定されるべきではない、と考えている。近年は、3Dプリンタで製造可能な自殺マシーン、〈サルコ(Sarco)〉の開発に時間を費やした。医師によると〈サルコ〉は、安らかな死を約束する。この新発明をきっかけに、ニッツチク医師と彼の思想に再び注目が集まっている。われわれのインタビューに応じてくれたニッツチク医師は、人権に備わってしかるべき尊厳死、自らの死にかた、そして〈サルコ〉について語った。

Photo: Frederieke van der Molen

まず、〈ドクター・デス〉という呼び名についてはどう感じていますか?

慣れました。もちろん、もっと素敵なあだ名がいいのですが、それなら、もっと愉快なトピックで活動しなければいけませんからね。

先生の活動は、毎回物議をかもしています。〈尊厳死〉というテーマにここまで興味を抱くようになったきっかけは?

尊厳死は政治的なものです。オーストラリアで安楽死合法化に向けて活動しているときに、病気ではないが、安楽死を希望するたくさんの人々に出会いました。そのなかに、フランス人の女性学者がいました。彼女は、80歳で死ぬつもりだ、といっていました。理由は病気ではなく、単に、死に最適な年齢が80歳だと考えていたからです。それを聞いて、さすがにそれは、と懐疑的な反応を示すと、彼女は「あなたに批判する権利はない」と答えました。確かにそのとおりです。彼女自身が安楽死を選択するのであり、私の医者としてのルールには縛られない、と彼女は言明しました。それがいち因となり、私は考えを変えたのです。分別ある人間には死を選ぶ権利がある、と確信するようになりました。

その見解は、大いに物議をかもすことになります。どのような反論が多いですか?

いちばんよく聞くのが、〈理性的自殺〉などありえない、精神病が原因で死を望むようになるのだ、という意見です。しかし、私は断固否定します。死を望む気持ちは、治療すべき疾患ではありません。また、他の反論として、人生はギフトなのだから、敬意を払うべきだ、という意見もあります。それに対してはこういえます。もし生命がギフトだとしたら、それを捨てるのも自分の勝手だ、と。さもなくば、それはギフトとはいえません。ただの重荷です。

Photo: Frederieke van der Molen

あなたは、死を選択するハードルを下げる活動をしています。つまりあなたも、ある程度は、死の責任を負うべきということでは?

それはフェアではないですね。尊厳死を選ぶのは、〈権利〉だと信じています。例えば、今この瞬間、あなたが外へ出て自殺をする、と表明したら、私は阻止すべきでしょうか? そうじゃないでしょう。あなたは自立した個人であり、あなたがどう決断しようと自由です。もちろん喜びはしませんよ。でも、あなたの決断ですから。その場合、私にできるのは、安らかな死を迎えられるよう協力することです。

でも、あなたが死へのハードルを低くすることで、例えばセラピーのような、他の道を選ぶ可能性を奪っているのでは?

それはわかりません。セラピーよりも、線路への飛び込み自殺を選ぶ可能性が多いかもしれませんよね? あるいは首吊り自殺かもしれない。本当に自殺したかったら、多大な苦しみを伴う手段を選ぶほかありません。英国では、首吊り自殺の件数が圧倒的に多いです。代替案は知らなくても、どうやって首吊り自殺するのかは知っているし、ロープもすぐに手に入ります。とはいえ、首吊りは、ひどい自殺手段であることに変わりありません。とにかく私は、死ぬならば、薬にしろ、〈サルコ〉にしろ、安らかに死ぬべきだ、といっているだけです。

確かに、〈サルコ〉や安楽死のための薬が乱用される可能性もあります。しかし、利益を得る人もたくさんいるでしょう。例えば、病状が著しく進んでしまった高齢者にとっては、マシーンや薬がひとつの〈セーフティネット〉になる。安らかに死ねる、と知るだけで、彼らは幸福感を得られます。線路に飛び込んだり、車椅子のまま海へ飛び込んだり、そういう絶望的な行為が必要なくなりますからね。

先ほど、尊厳死は人権だとおっしゃいました。では、『The Peaceful Pill』に50歳以上という年齢制限をかけているのはなぜですか?

年齢制限については、たくさん話し合いました。健全な精神状態の成人であれば死を選べる、というのが個人的な見解です。しかし、2011年に米国で批判が殺到しました。若者たちが死んでいくのを、よろこんで見ているなんてひどい、という意見が寄せられたんです。だから、ある程度人生の経験を積んだ年齢として、最低年齢を50歳に定めました。これが、〈私たちは若者の自殺に加担しない〉と証明する唯一の手段でした。しかし、私の哲学的観点が曲げられたわけではありません。

〈サルコ〉では、安楽死前に医師による準備がいりません。しかし、何らかの制限は必要ではありませんか? まるで、薬局で処方箋なしにあらゆる薬を選べるようで、心もとなく感じます。

あなたはまだ、医療分野の出来事と捉えていますね。私が思うに、〈サルコ〉に医師は不要です。もちろん、心の健康を診断してもらう必要はあります。しかしそれも、オンラインのアンケートで可能です。将来は、AIが患者の精神状態を医師より速く、正確に判断できるようになります。

あなたは、うつ病患者も〈サルコ〉が使用できれば良いと考えています。しかしうつ病患者は、正しい判断ができるでしょうか?

もちろん、うつ病患者には、精神状態を測るテストが必要でしょう。しかし、うつ病患者の多くは、死んだら終わり、という事実を理解できます。うつ病は、〈サルコ〉の使用を禁じる理由にはなりません。ただ、うつ病であれ、肉体的な病気であれ、自分が何をしようとしているか理解できないほどの状態であれば、テストには合格できませんし、〈サルコ〉は使用できません。確かにグレイですが、精度は、精神科医が現在使用しているテストとそう変わりません。

〈サルコ〉の仕組みについて教えてください。

3Dプリンタで製造できる棺型マシーンです。液体窒素が必要ですが、それも合法的に入手できます。マシーンのなかに座ると、窒素が充満し、1分半で意識がもうろうとします。お酒を飲みすぎたときのような感じです。そして数分後、意識を失います。そして約5分後にはあの世です。マシーンは、内側からのみ制御可能なので、殺人には使えません。外が見えないようにするか、窓を透明にするか選べるので、マシーンを持ち運べば、好きな景色を見ながら死ぬこともできます。

2018年初頭には、オンライン上で設計図を公開したいです。〈サルコ〉初号機は、スイスで組み立てられる予定です。スイスにいる、とある人物が興味を持っていますから。オランダでは、安楽死は犯罪になりません。ですから、マシーンの使用は違法ではない、と同国の弁護士の確認が取れています。私は、インターネット上で設計図と使用法を提供するだけです。個人的な指導はしません。そして、マシーンの操作には誰の助けも要りません。使用者が全て制御できるのです。

景色が選べるとおっしゃいましたが、ご自身ならどんな景色を選びますか?

故郷である、オーストラリア北部の砂漠です。朝焼けを見ながらなんて最高ですね。ただ、よく考えてみたら、液体窒素の運搬が難しそうです。距離がありますし、窒素の状態を保持できません。

Photo: Frederieke van der Molen

〈サルコ〉内部に、気が変わったときのための緊急停止ボタンはありますか?

ええ。緊急用窓があり、押すとすぐに開きます。窓が開けば、マシーン内に酸素が流れ込みます。また、意識を失う前であれば停止ボタンを押すこともできます。

ご家族は、先生の信念についてはどう考えていますか?

私の母は、支持してくれていました。母は亡くなるまでの数年間、自宅で暮らすのが困難で、老人ホームに入居していました。母はそれを嫌がり、死を望んでいました。しかし病気ではなかったので、安楽死の処置は受けられなかったのです。私には何もできませんでした。何かしたら、私が手を貸したとバレてしまいますから。尊厳死が選択できれば、彼女にとっては慰めになったはずです。

反対派からの脅迫はありませんか?

幸運なことに、この20年、私に対する脅迫が届いたのは数回です。実際に危険を感じたのは、最近になってからです。犯人がキリスト教原理主義者か、それとも致死薬を売りさばいている違法ディーラーかはわかりません。著書のなかで、1錠700ユーロ(約9万円)で致死薬を売る偽サイトをいくつか指摘していますから。公のイベントでは、厳戒体制をとるようにしています。

1968年ワシントンDCで起こった〈貧者の行進〉を撮ったドラマティックな写真

写真家ジル・フリードマン(Jill Freedman)が〈貧者の行進(Poor People’s Campaign)〉を記録した写真集が再販され、それにともなう展覧会が、スティーヴン・カッシャー・ギャラリー(Steven Kasher Gallery)で開催され。再販された写真集のタイトルResurrection City, 1968』は47年前にリリースされた際のタイトルと少し異なる。彼女にとって初の写真集である本作は、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(Martin Luther King Jr.)が暗殺の数週間前に主唱したデモ運動に、彼女が密着して撮影した作品であり、米国における貧困問題改善の必要性を訴えるためにワシントンDCのナショナル・モールに形成された、抗議キャンプ参加者を記録した貴重な資料でもある。

1968年3月18日、キング牧師は、メンフィスの清掃作業員たちに向けた演説で、こう問いかけた。「人種差別がなくなったところで、レジでハンバーガーを頼めるだけの金がなければ、何の意味があるだろうか?」。キング牧師と仲間の主催者たちは、約3000人にも及ぶ参加者をナショナル・モールまで先導した。わずかな雇用機会、雇用の不平等、安い賃金など、大勢が抱える不安をホワイトハウス前で訴えよう、と呼びかけた。当時、広告代理店〈ドイル・デーン・バーンバック(Doyle Dane Bernbach)〉でコピーライターとして働いていたフリードマンは、麦わら帽子を被り、オーバーオールを着た男性が群衆を相手に演説する姿を目撃した。その男こそ、市民権運動のアクティビストで、ミュージシャンのジミー・カリアー(Jimmy Collier)だった。ジルはこう回想する。「ある日、セントラルパークで、カリアーが貧者の行進について話したんです。『仲間にならないか? いっしょにワシントンに行こう!』。私は『もちろん!』と即答したんです」。そして、「写真家として参加する」と宣言し、彼女は本当に会社を辞めた。

独学の初心者カメラマンとして、ニューヨーク市から出発するバスに乗りこみ、デモに参加しながら写真を撮り始めた。ジルによると、当時の彼女は、写真の技術は学んでいなかったが、子どもの頃に見たホロコーストの写真から強いインスピレーションを受けていた、と語る。若きジルは、はじめてカメラを手にしたが、明確な目的意識があった。ベトナム戦争に抗議する反戦デモの参加者たちに対して暴力をふるう警官の姿を目にし、不当さを感じた。その結果、この事実を届けるような写真が撮りたい、と彼女は望んだ。今回の運動の目標を明確に伝え、市民権運動の歴史のいち場面を切り取りたい。そんな使命を抱きながら、ワシントンDCへ向かう道中、彼女は撮影した。ワシントンDCに到着すると、ナショナル・モールの周りにキャンプが設置されていた。それが抗議運動の中心地〈復活の街(Resurrection City)〉であった。それから6週間、ジルはそこで過ごし、即席キャンプの様子を撮影した。

同じ出来事を撮影していても、仕事で来ていた他のカメラマンとジルの写真は違った。なぜなら、キャンプに滞在中、彼女はデモに自発的に参加し、歴史を記録する写真家であったからだ。フリードマンはキャンプの食料配給テントで、ライターのジョン・ニアリー(John Neary)と『LIFE』誌のカメラマンと会ったことを、ジルは覚えていた。「『いつからここに?』と訊かれたので、『来たばかりです。ニューヨークからここに来るまでの道中、撮影していました』と答え、手元にあったコンタクトシートをジョンに見せました。『素晴らしい、このフィルムを借してほしい。おそらく、彼らがプリントしてくれるでしょう』といわれたんです。私はその言葉がまったく信じられず『誰かに渡すなんて絶対にしたくありません。フィルムに傷がつきます』と答えたが、ジョンのいう〈彼ら〉とは、『LIFE』誌のスタッフだったんです!」。結局、ジョンがジルを説得し、ニューヨーク市の『LIFE』編集部に彼女の写真を送った。そしてそのうち6枚が〈A New Resolve: Never to Be Invisible Again〉という記事に採用された。ジョンの手による、〈貧者の行進〉の起源と概要について書かれた記事だ。米国有数のメディアのトップ記事に、自分の写真が掲載されたジルは、写真家としての活動にさらに意欲が湧いた。その数年後ジルは、パブリッシャーのリチャード・グロスマン(Richard Grossman)、そして憧れの写真家、W・ユージン・スミス(W. Eugene Smith)の助力を得て、〈貧者の行進〉に飛び込んだ6週間の記録をまとめた写真集『Old News: Resurrection City』を出版した。彼女にとって初めての写真集だった。

それが『Resurrection City, 1968』として2017年11月に再びリリースされた。イントロダクションとして、2名の専門家による寄稿が補足された。ひとりめは、ヴァージニア大学コーコラン歴史学部の准教授、ジョン・エドウィン・メイソン(John Edwin Mason)。ふたりめは、国立アフリカン・アメリカン歴史文化博物館で写真、ヴィジュアル・カルチャー、現代政治史のキュレーターを務めるアーロン・ブライアント(Aaron Bryant)。両者とも、抗議運動の歴史の関連資料として、写真を研究している。

〈貧者の行進〉は、悲劇的な結末を迎えたが、同運動によって、政府の意識がわずかながら変化し、米国の貧困層の存在が可視化されるようになった。警察当局は、キャンプを封鎖し、〈フリーダム・ソング〉を歌う参加者たちに催涙ガスを吹きかけたが、ロバート・F・ケネディ(Robert F. Kennedy)大統領暗殺の影に隠れてしまった。最近では、政治指導者で牧師のウィリアム・バーバー2世が、2018年の〈新・貧者の行進〉の開催を目指し、陣頭指揮を執る、と発表した。1968年の〈貧者の行進〉がもたらしたものは、少なくない。そして、その当時の様子は、ジルの写真によって、多くの人々の記憶に刻まれている。活動における仲間意識や理想主義、みんなが力を合わせ活動する姿や政治的なメッセージをいかにアートとして表現するか、デモを壊滅させるに至った警察との衝突など、その全てが、あるいは、それ以上が、ジルによって記録された。彼女の写真は、歴史に残る出来事の記録として意味を持ち続ける。ワシントンDCに向かうバスに乗りこんだ駆け出しのジルが夢見た目標は、見事に達成されたのだ。

フリードマンの作品は、ニューヨーク近代美術館(the Museum of Modern Art)、国際写真センター(the International Center of Photography)、ジョージ・イーストマン博物館(George Eastman Museum)などに所蔵されている。ストリートの社会学やヒューマニズムに興味をもつ彼女は、インスタグラム(@jillfreedmanphoto)を定期的に更新しており、ニューヨークのスティーヴン・カッシャー・ギャラリー(Steven Kasher Gallery)に所属している。将来的には、『Firehouse』や『Street Cops』など、これまでに発表した7冊の写真集を増補して発表しようとしている。上記の2冊は、シェリル・ダン(Cheryl Dunn)監督によるストリートフォトグラファーについてのドキュメンタリー『Everybody Street』(2013)でも取り上げられた。

デッド(MAYHEM)からの手紙

ペル〈ペレ〉イングヴェ・オリーン(Per “Pelle” Yngve Ohlin)という名を聞いて、ピンとこないエクストリーム・メタルファンはいないだろう。そう、あのデッド(Dead)の本名だ。1969年、ストックホルムに生まれたデッドは、10代の頃にノルウェーに移住し、ブラックメタルのパイオニア的バンド、MAYHEMに加入。そこでフロントマンを務め、作詞を担当した。しかし、1991年4月8日、22歳の彼はライフルで自らの頭を撃ち抜き、早すぎる死を迎える。彼は、ブラックメタル・シーンにおける、数々の悪名高い事件に関与し、伝説を残した。あまり知られていないが、大量の手紙も残している。

ブラックメタル・ファンなら、デッドがどれほど音楽に対して情熱を傾けていたかはご存知だろう。彼が大量の手紙を書いていた理由も察しがつくはずだ。そう、90年代初頭といえば、テープ・トレードの全盛期。世界中のメタル・ファンたちが、手紙で交流を図り、誰もが欲しがるメタル・アルバムをダビングし、テープを送りあっていた時代だ。若きオリーンも、せっせと手紙を書いていた。しかし現在まで、その手紙の多くが公にされていない。彼の手紙にスポットを当てようと活動してきたファンもいるが、せいぜいBlogspotでちらほらとスキャンやら写真が投稿されている程度だ。

しかし、2016年末頃、デッドの文通相手だった〈オールド・ニック(Old Nick)〉が、北欧の凍てつく海岸沿いで暮らしていたデッドからの手紙を、引き出しの奥から発掘し、公開を決意した。しかも、ただスキャンするだけでなく、自ら内容をタイピングし、時系列順に並べて印刷。それをまとめ、『Letters from the Dead』(何という適切なタイトル)とタイトルを冠した紫色の冊子を自費出版した。部数は666部。超限定生産だ。オールド・ニックは南イタリア在住。初めてMAYHEMに連絡を取ったのは1990年、ファンジンを制作しているときだ。以来、デッドからの手紙は、聖遺物のように大切に保管していた。ある日こう気づいた。もし、自分が死んだら、デッドの手紙は誰の目にも触れないまま朽ちていく。それはもったいなさすぎる――。「自分がいつ死ぬかわかりません。昔からのファンに、デッドの言葉を知らせずに死ぬのは嫌だったんです」

Photo courtesy of Old Nick.

手紙を纏めて出版すると、ニックは、興味をもったコレクターたちから、手紙の譲渡についての問い合わせを受けた。しかし、今はまだ原本を手放す心づもりができていない、と交渉の申し入れは断ったという。『Letters from the Dead』に掲載されているのは、1990年3月から1991年1月のあいだにデッドから届いた全ての手紙だ。また、デッドから、決して公開しないように、といわれていたサタニストの小冊子も、一部掲載している。「デッドの意志を尊重して、数ページは除外しています」とニック。「ただ、まさか私がデッドからの手紙を集めた本を出版するなんて、彼は、予期していなかったでしょう。それ以外は、全て掲載しました」

この冊子を読むと、全てではないにせよ、私たちは、ペル・イングヴェ・オリーンの真の姿を垣間見ることができる。「彼はある種の団体…正確にいえばサタニスト団体に参加しようとしていました。私は半信半疑でしたが、彼は参加しようとしていました」とニック。デッドは、MAYHEMとその音楽を心から大事にしていた。そこには、何かしら、彼のオカルト趣味が現れている。しかし、ニックは予想する。「彼の手紙からは、ある種の迷いのなさが読み取れました。思想が組織的に構造化されている、とでもいえばいいのでしょうか」。その思想は、MAYHEMのフロントマンとしてのデッドのペルソナや、ステージ上での自傷行為にとどまらない。手紙でデッドが語るのは、主に音楽の話題だ。例えば、彼が今やりとりをしているバンド、ツアーに影響した失敗や災難など。MAYHEMの90年代初頭のツアーは、今でも伝説として語り継がれているので、それだけでもおもしろい。しかし、いちばん興味深いのは、ノルウェーにやってきた、内気で青白い顔をした若者としての個人的な体験だ。

Photo courtesy of Old Nick.

暗黒なるニックへ!
デッドです。スウェーデンでこの手紙を書いています。バンドに入る前に住んでいた、いわば、私の〈ホーム〉です。返事は、ノルウェーの住所でかまいません。こっちは、ツアーが終わったばかりです…。マジでヤバかったんですよ! まず、私たちは東ドイツで公演を3つこなしました。だけど、とあるバンドが私たちから1000マルクをちょろまかしましたので、最初のライブのギャラは、3バンドで折半するには少ない金額しか残りませんでした。それでも、ドイツ民主共和国で演奏するのは、最高でした。西ドイツよりも、東ドイツのデス・メタラーのほうが好みです。短髪でSCORPIONSみたいな格好の、いわゆる典型的なドイツのスラッシュメタル・ファンとは違います。それよりも、ポーランド人に近く、デス・メタルよりで、格好もそっちに似ています。期待以上でした。3バンド中2番目の出演だったから、それでかなり気分もあがりました。フロアはぎゅうぎゅうで、私たちは観客と、まさに肉弾戦を繰り広げたんです。……

「MAYHEMでのデッドについては、みんな知っています」とオールド・ニック。「しかし特に私の印象に残っているのは、キャビンのなかでバンド・メンバーと過ごした時間、公にされていない普段の生活です」。例えば、オリーンの完全なテクノロジー嫌い。「彼は、PCが嫌いでした。だから自分の手紙がキーボードでタイプされた状態なんて、見たくもないでしょうね。テクノロジーに、居心地の悪さを感じていたんです。とにかく、あらゆるテクノロジーを拒絶して、森の中に安息の地を見出していました。実のところ、彼は、ノルウェー国民、ノルウェーという国自体に耐えがたさを感じていたのです。何もない国だし、全く刺激がない、とボヤいていました。ミュージシャンも気骨がないヤツらばかりだ、と吐き捨てていました」。そんな彼が今のノルウェーのブラックメタル・シーンを知ったらどう思うだろう。

「彼は、ノルウェーから出ることを夢見ていました」とオールド・ニック。「いっそのこと、北欧から逃げだして、できるなら、トランシルヴァニア、グリーンランド、それか、アイスランドに逃げようとしていました」。つまりデッドは、人間がほとんど住んでいない場所、ノルウェーよりもさらにひなびた場所への移住を望んでいた。(興味深いことに、25年経った今、アイスランドのアーティストたちがその道を歩んでいる)また、デッドには、旅行願望もあった。手紙には、イタリアにも他の国にも行ってみたい、と書かれている。また、コミックブック作家にもなりたいとも。デッドには、様々なプランがあったのだ。

しかし、その後まもなく、彼は自殺した。「自殺するようにはみえませんでした。10歳の頃の臨死体験が、彼の人生や、死生観を変えたのは間違いありませんが」とオールド・ニック。「臨死体験以来、デッドは、もういちど、同じ体験をしようとしていました。それが自傷行為のきっかけでしょう。血を流せば流すほど近づけますから。自殺した日も、何かを試そうとしていて、最終的にコントロールを失ってしまったのでしょう。魔術的であると同時に、カオティックな最期ですね。彼が古代ローマ時代に生きていたら、〈ラルワルム・プレヌス(Larvarum Plenus, 幽霊にとりつかれた)〉と呼ばれていたでしょう」

Photo courtesy of Old Nick.

元気ですか! デッドです。
前に話していたツアーがようやく始まりました。今夜は、東ドイツで3度目のライブです。いまのところ、オーディエンスは予想以上に最高です。ギリシャでは何が起こるんだろう、と想像しています。実は、ギリシャでのライブの日程が変更になって、面倒なことになっています。ツアーを止めるには、ちょっと遅すぎました…。とにかく、アテネで2度、ライブをします。トルコでのギグがテレビで放映されるかもしれないのは、伝えましたよね? オランダでもライブをやります。また手紙を書きますね。では! デッド

ある意味、オリーンの日常生活でのふるまいは、「彼の極端さと合致していた」。彼は、心から信じていなければ言動に移さない人間だった。オールド・ニックによると、オリーンは「ヴァンパイア伝説の源であろうと予想される、ポルフィリン症に魅了されていました。ポルフィリン症発症率が高い国をご存知ですか? スウェーデンです」。さらにデッドは、「トランシルヴァニアで、ハンセン病患者のように隔離されて暮らしているポルフィリン症患者のコミュニティを見つけて、そこに定住し、患者たちに献血したい」という意志を言明している。手紙には、「ヴァンパイアに身を捧げたい」とまで記されており、その意志はかなり強かったようだ。

また、その他にも、変わった興味、関心があったようだ、とオールド・ニックは語る。例えば、毒性の花を探したり(「摂取するとオオカミ人間化してしまう花について、どこかで読んだらしく、いろいろな学名を手紙で教えてくれました」)、人食い部族に会いたがり、ヴァチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂内で聖歌隊の合唱を収録して、それを悪魔崇拝儀式の音とミックスするというアイデアを夢想したり…。常にデッドは、全てが本物であることを望んでいた。〈真正〉を果てしなく追求していた。ブラックメタルを、単に内なる悪魔に打ち勝つ手段と捉えていなかった。むしろ逆だ。「彼のなかの悪魔たちを呼び覚まし、慈しんでいました」。もし今デッドが生きていても、十中八九、町議会議員にはならなかっただろう。

いわゆるブラックメタル・アーティストとは違って、ペル・イングヴェ・オリーンは、怒りや苦痛を爆発させようとせず、そういった感情を支柱に自らの人生を築いた。彼は、あらゆるテーマにおいて勤勉だった。だから、ヴァンパイアについても詳しかったし、「トランシルヴァニアの様々な城について、驚くほど正確に長々と説明できました。インターネットがない時代に、どうやってあそこまでの知識を手に入れたのでしょう。あの時代はたいてい、ブラム・ストーカー(Bram Stoker)の小説を読むくらいしか吸血鬼の知識を得る手段はありませんでした」

Photo courtesy of Old Nick.

シロルギア(Cilorgia)という名の人間が、その城に住んでいるはずです。エリザベート・バソリー(Elisabeth Bathory)は、トランシルヴァニア生まれで、〈デカく〉て、裕福な家の出身だ、と本で読みました。でも、ハンガリーでは、彼女はハンガリー人とされているらしい()…。私が間違っていなければ、串刺しにされたトルコ人の死骸が、フネドアラのヴラド・ツェペシュ(Vlad Țepeș:串刺し公)の城に残されており(さらに城に隣接する渓谷には、2万体のトルコ人、ヴラフ人、モルドバ人などの死体が捨てられていた)、森の木々には、頭蓋がくぎ打たれており、釜茹でにされた死体などがあったはずです。いわゆる〈ドラキュラ城〉は、ブラショヴ(別名:ブラン)ブラド、どちらにもあり、そのせいでかなり混乱します。西カルパティア山脈で語られている吸血症についての話以外にも、あらゆる物語、伝承、歴史、おとぎ話(などなど)があります。〈セント・アイゼル・チャペル〉と呼ばれる墓地が(ソメシュ川に)あるのですが、そこでは、角や牙のある頭蓋骨が発見されました。魂がルシファーに奪われるときに血を流す、と信じられています。

そこにそびえるのが〈アルバック山〉と呼ばれる場所で、不思議な神殿があったようです。トランシルヴァニア中部地方の、山間の巨大な沼沢地には、たくさんの幽霊がいて、よく出没するらしいんです。トランシルヴァニアに、〈ハデスの煙突(Funnel of Hades)〉と呼ばれる山があります。何もわかりませんが、ブルータルな名前が最高ですね。元ルーマニア大統領で独裁者のチャウシェスク(Ceausescu)が大嫌いなんです。ヤツは、多くの古代遺跡や城を破壊してしまいました。政治にまったく興味はありませんが、自らの豪邸をつくるために3つのを潰すなんてどうかしていますね。新しい国家元首のイリエスクも、大した人物ではないそうです。

トランシルヴァニアには、ヴァンパイアの呼び名がたくさんあるのですが、それには理由があるはずです。それぞれ違う種族なのかもしれません。でも、私たちは、ひとつしか知りません。私の人生のゴールは、トランシルヴァニアとモルドバを訪ね、〈西側〉では知られていない、ヴァンパイア伝説の全てを学ぶことです。ソ連にも、数百年前から、父親から息子に語り継がれている〈ウピール〉伝説があるはずです。ロシア国外では、あまり知られていません。私は、生まれてこのかたホラーに取り憑かれていまして、年々〈ひどく〉なってる。東欧の伝説を聞くたびに、トランシルヴァニアへの移住願望が強まり、いてもたってもいられません! トランシルヴァニアに、ポルフィリン症患者がハンセン病患者のように集められて暮らしているコロニーがあるのを知ってますか? ポルフィリン症患者に会えたら最高ですよ! ポルフィリン症患者が隠れて暮らす特別な場所があるのなら、私もそこで暮らしてみたい。彼らに血液を提供すれば仕事になりますね。

ご存知でしょうが、彼らの国では(少なくともチャウシェスク時代には)、電力不足が深刻なようで、1日2時間くらいしかランプがつかないらしいんです。それでもバンドをやるなんて凄いですよね(しかもヘヴィメタル)。ハンガリーの友人に聞いたんですが、トランシルヴァニアにはメタル専門のジンがあるそうです。編集部の住所はわかりません。狼憑き、狼男については他に何か知ってますか? 私はあまり知らないんです。月光を浴びて育つ花を探したいのですが、名前がわかりません。ひとつ知っているんですが、それは月に関係ないでしょう。ウルブズボーン(Wolvesbone)、というのですが、その花の影響で狼男になってしまうと信じられています。とにかく毒性が強いそうです。奇妙な場所でしか育たないらしいので、スカンジナビアには生息していないでしょう。迷信がある植物を収集したいですね。トランシルヴァニアの住人、トランシルヴァニア出身者たちにとって、私たちのような部外者の観点は、奇妙なはずです。特に、ヴァンパイア・ムービー。クソみたいな映画ばかりですからね。ごく、一部の……

もちろんオールド・ニックは、デッドの教えてくれるテーマに興味をもった。複雑怪奇な性格ではあったが、デッドは、非常にフレンドリーな男として知られていた。彼の温かい人柄は手紙にも表れており、そこにはまったく〈邪悪さ〉はない。ただ内容には、暗黒賛美、ヴァンパイアへの羨望が表れている。「いっしょにトランシルヴァニアに行こう、と計画していました」とオールド・ニック。「目的は、ポルフィリン症コミュニティを訪ねることと、ふたりが直接会うことでした。残念ながら、この計画は実現しませんでした。その話が出た数ヶ月後、彼は自殺しました。当時の私は、デッドという人間も、彼の独特さも、100%理解していたわけではありませんでした。しかし、時が流れ、自らがブラックメタルから完全に離れてから、彼からの手紙、彼の死を知った瞬間について考えるようになりました」。オリーンの死後、MAYHEMのギタリスト、ユーロニモス(Euronymous)から、どちらかというと、冷淡な手紙がオールド・ニック宛てに届いた(それまでユーロニモスとは連絡をとったことはいちどもなかった)。「ペレが自殺しました。あなたたちが話題にしていた切手の糊が役に立ちそうなので、送っていただけますか?」と。

『Letters From the Dead』の編纂を終えたニックは、より広範をカバーする書籍をつくるべく、思案している。彼は、オリーンが世界中のメタル・ファンへ宛てた手紙を集めたいそうだ。既に失われてしまった手紙も多いだろうが、『Letters From the Dead』がきっかけになり、「同じ志をもつ、手紙の原本の所有者たちが名乗り出る」のをニックは期待している。

デッドの自殺後、オールド・ニックはブラックメタルへの興味を失った(トランシルヴァニアにも行っていない)。もし彼のリサーチに役立ちそうな情報や資料があれば、ilvecchionick@gmail.comまでご連絡を。

欅坂46がロックだなんて…

2017年12月5日、〈欅坂46〉の人気メンバー、渡辺梨加の写真集が発売された。そして、19日には、長濱ねるの写真集が発売される。両写真集がグループ初の写真集であり、メンバー初の水着解禁だ。当然、欅ヘッズたちは、ざわついている。水着解禁を喜ぶいっぽうで、「単なるアイドルではなく〈アーティスト〉である欅坂が、AKBのように水着になる必要性が全く感じられない」という見解も噴出している。先行して公開された、ラコステのポロシャツを捲る、長濱ねるの写真について、「不純で実用性を追求している」というSNSへの書き込みがあった。水着の写真に実用性を嗅ぎ取った気持ち悪さはもちろんだが、何かにつけて欅坂がロックやアートに結びつけられるのにも、違和感がある。欅坂が〈ロック〉扱いされるのは、いったい、どうしてなんだろう。

§

2017年6月24日、幕張メッセで開催された全国握手会にて、平手友梨奈、柿崎芽実レーンで、刃物を所持した男が発煙筒に点火する事件が発生した。運営が警備体制を強化し、握手会は翌日も続行されたが、平手友梨奈、柿崎芽実を含めたメンバー6名が欠席した。6月25日は、平手友梨奈、16歳の誕生日だった。

1stアルバム『真っ白なものは汚したくなる』の発売にともなうツアーで欅坂は、平手友梨奈の体調不良によるまさかのセンターレス公演、今泉佑唯の活動休止など、ハプニングに悩まされた。ツアー初日は、平手を欠いたまま、『サイレントマジョリティー』のパフォーマンスに臨まなければならず、残されたメンバーたちは、いきなり苦境に立たされた。

私は、ツアー開始から3日後に開催された〈TIF2017〉でのゲンバに参戦した。明らかに、平手の様子がおかしかった。終始うつむきがち、ラストでの全員の挨拶もほぼアクションなし。本調子でないのは、誰が見ても明らかだった。この頃になると、初期の平手の面影はほとんどなくなっており、大勢のファンから心配の声があがった。

その後、私は、5thシングル『風に吹かれても』個別握手会に参加したが、平手は、体調不良を理由に欠席した。私の握手券は、今も自宅で振替日を待ち続けている。『ケヤキセ』でポイントを貯めて〈ゲーム会参加抽選券〉を集めると、リアルイベントでメンバーに会えるのだが、こちらでも、平手の不参加がアナウンスされた。欅坂のセンター、平手が抱えるストレス、スケジュールの過密さの影響は、われわれファンには想像もつかない。

2017/11/19に使われることのなかった「風に吹かれても」個別握手券

もしかしたら、ファンの想いが平手、そして欅坂を精神的に追い込み、型に嵌めているのではないのか。

デビュー曲『サイレントマジョリティー』や『不協和音』の重々しい、アイドルらしからぬ楽曲の世界観は、アイドルファンの領域を超えて、世間の注目を集めるきっかけになった。欅坂は往年のロックバンドに、平手はあらゆるミュージシャンに例えられ、「いま、一番ロックなのは、アイドルグループ欅坂46だ」「平手はカート・コバーンの再来だ」という主張がオンオフ問わず飛び交うようになった。先に述べたように、『真っ白なものは汚したくなる』ツアーは、グループの最大限の努力があったにせよ、不安定さを隠しきれないパフォーマンスだったので、「プロとして失格。せっかく観にいったのに残念だ」というファンの不満もあった。欅坂の不安定さや平手不在のパフォーマンスを、ロック、と評する、何周もして目が回ってあらぬところに着地してしまったような意見もある。ファンの不満は理解できなくもないが、なんでもかんでも〈ロック〉と評するのはいかがなものだろう。

そもそも、欅坂は、ロックを表現するために結成されたグループではない。それなのに、どうして〈ロック〉と評されるのか。笑わないアイドルとして注目され、秋元康がプロデュースするアイドルのイメージを壊したことが、ロック扱いされる発端になった気がしなくもない。しかし、〈笑わない=ロック〉だとすれば、より過激でロック感全開のアイドルが地下に潜れば見つかる。だから、それだけではロックにならない。おそらく、知名度が高すぎる秋元エンパイアーのアイドルが、お約束を破るからロックに見えるのだろう。仮に、知名度の低いアイドルグループが、険しい表情で髪を振り乱して叫んだところで、世間は振り向きもしないはずだ。

欅坂と従来のアイドルの違いをどれだけ強調したところで、エンペラー秋元の操り人形に過ぎない、という見解もある。だが、ロックを象徴するようなバンドやアーティストにも、プロデューサーがいるので、ロックかどうかを判断するのにプロデューサーの有無は関係ない。平手は、気持ちが入っていないと『不協和音』の世界観を表現できないという。欅坂の場合、エンペラー秋元のもとにいるのに、与えられた楽曲と踊りをこなすだけではなく、パフォーマンスにメンバーの意志を強力に反映させているのが、よりロックなポイントなのだろう。

もうひとつ、ロックと評される所以が想像できる。今までアイドルに興味のなかった人が抱くアイドルのイメージと、欅坂の振る舞いのあいだにあるギャップだ。例えるなら、クラスいちの優等生がコカインをキメているのを目撃してビビってしまう、あの感じだ。それを説明できないから、欅坂をロック扱いするのだろう。しかも、そのさい引き合いにだされるバンドやアーティストは、ひと昔前のアイコンばかりだ。この傾向をみると、今までアイドルに興味のなかった音楽ファンたちが、自分の尊敬するアイコンを、無理やり欅坂に投影しているだけな気もする。「欅坂って○○っぽいよね」「○○の再来だよね」という発言は、耳が肥えるでしょ、という自己アピールにしか聞こえない。鳥肌モンだ。女の子たちの個性がぶつかり合った結果生まれる欅坂の不安定さが、偶然、ロックの破天荒さと結びついてしまった。それだけなのに、平手を〈憑依型〉などと分類して崇め奉るのは、彼女に苦悩と孤独を背負わせて苦しませるだけだ。平手がファンのツイートを見る機会はいくらでもあるのだから。

鳥肌の原因は他にもある。欅坂をロックやアートに結びつけるのは、セルフ・ブランディングに躍起になった小心者が、世間体を気にしているだけのハナシだろう。アイドルが好き、と公言したさいに、職場や家庭でロリコン扱いされないよう、仲間にバカにされないよう、自らの志向を正当化しているとしか思えない。ロリコン扱いを恐れて平手、欅坂にロックを押し付けても、彼女たちを追い込むだけだ。もし、本当に欅坂を愛しているのであれば、そんなことせずに、ありのままの欅坂を愛して欲しい。ダニエル・ジョンストンのTシャツだって、スタイリストがBEAMSでみつくろっただけなんだから、てちキャロを素直に愛でればいい。オルタナでユナイト、なんてのは諦めて、ロリコン呼ばわりされて欲しい。それでも欅坂を愛せるのであれば、それこそ〈ロック〉だ。(ここでいうロリコンとは、俗的ロリコンのこと)

ふたりの〈けや描き〉。上:先輩に無理やり書かされた、欅坂46。下:先輩が楽しそうに書いていた平手友梨奈。

しかし、シャバたれた小心者の見解を無視して、羞恥心をかなぐり捨てた猛者たちの愛する欅坂の振れ幅に注目すると、欅坂ロック説は、あながち的外れでない気がしてきた。不本意ながら、私の疑念は晴れつつある。あらぬギャップを生みだす欅坂のアティチュードは、間違いなく、シャバやんたちが騒ぐ以上に〈ロック〉だ。しかも、彼女たちは、アイドル・グループに望まれる予定調和を覆しながら、お茶の間へのアピールにも成功している。カート・コバーンがパジャマでステージに立ったところで、日本のお茶の間は見向きもしなかった。ガンズ・アンド・ローゼスのNHKホール公演が30分で終わっても、一部のロック・ファンがざわついただけだった。レッチリがポコチンに靴下を被せて現れるのをファンは楽しみにしていたけれど、世間は変態と切り捨てた。どれも、予定調和を覆す、というロック的予定調和のなかでの出来事だから、当然の扱いだろう。茶番を愛する好き者のための茶番に、世間はいちいち驚かない。私の母ちゃんは、未だに、「ロッカーはキ●ガイなんでしょ」と信じて疑わない。彼女は、YOSHIKI伝説がどれだけ凄かろうと、そのひと言で全てを片付けてしまう。そんな今の日本で、母ちゃんにもわかるほどの知名度で〈ロック〉を体現しているグループは、欅坂の他に見当たらない。

みなさんおわかりだろうが、私の〈欅坂イズ・ノット・ロック〉は完全に覆された。これでは〈マッチポンパー〉と蔑まれてもしかたがない。なんにせよ、欅坂が凄いのだ。しかし、いくら彼女たちがチンケな想像をはるかに超えているとはいえ、偶然と思春期の不安定さとが相まって欅坂の〈ロック〉なのだから、そこにレジェンドを投影すべきではない。むしろ、レジェンド以上なのだ。ありのままの、アイドルを夢見た少女たちが、偶然、誰よりも〈ロック〉してしまっただけなのだ。彼女たちが、ありのまま〈ロック〉なのだから、私は、ロックなアティチュードで彼女たちを受け止めたい。こざかしい屁理屈をならべたり、欅坂ロック論なんて唱えなくても、みんなが〈ロック〉なら、彼女たちといっしょに、もっともっと欅ワールドを楽しめるはずだ。

つい先日、『けやかけ』を観たら、メンバーから初期の素人感が消えている感じがしたが、成長と受け入れて楽しんだ。しかし、それを先輩に話すと、「成長とはちょっと違う。欅坂は欅坂でいることに慣れちゃったんだよ」と偉そうに諭されてハッとした。四十路をとっくにこえた先輩は、ロリコン、と後ろ指さされながら、独身を貫き、アイドルを愛している。かなり〈ロック〉な先輩だ。そんな彼は、とあるメンバーに平手以上の〈ロック〉を見出しまっている。またしてもハッとした。バンドでも、フロントマンよりドラマーのほうがイカれていることが多々ある。とあるメンバーに過剰な負荷をかけたくないので、名前は伏せるが、想像していただきたい。わかれば納得するだろう。

それはさておき、先輩の諭しを真に受けてやると、漢字欅は、もはや〈ロック〉ではないのかもしれない。平手ですら、世間のつまらない期待に、無意識のうちに応えているだけなのかもしれない。初期漢字欅が放っていたロックな初々しさは、今、〈ひらがなけやき2期生〉が担っているのかもしれない。しかし、べりさが〈右手が強いじゃんけん〉を恥ずかしがるように、丹生ちゃんが〈剣道の素振り〉を見返して顔を赤らめる日が来るに違いない。そうなったとしても、漢字欅が打ち立てた欅流ロックが次期生に受け継がれるはずだ。先輩も私も、しばらく〈ロック〉でいられる。

§

私は、この記事を書くまで、欅坂をロックだと認める気はなかった。欅坂ロック説が気に食わなかった。しかし、私は気づいてしまった。欅坂は、誰よりも〈ロック〉なのだ。勘違いしないでほしいのだが、欅の〈ロック〉は、死んでナンボの伝統的破滅型ロックではなく、〈偶然のロック〉だ。偶然のロックだけに、彼女たちは、必ずしも、われわれの期待通に応えてはくれない。それでも構わない。そして、ロックじゃなくなっても、ディスるべきではない。脱ロックも欅流ロック。平井堅に平手がかなわないのも〈ロック〉。これから、欅坂がどうやって世間の期待を裏切り、われわれのハートをロックしてくれるのだろう…。楽しみは尽きない。

チアリーダーのプロテスト

Photo:Cory Hancock.

試合はいつも通りに始まった。9月30日、ジョージア州アトランタ郊外で、ケネソー州立大学のケネソー・ステート・オウルズ(Kennesaw State Owls)は、2連勝を狙っていた。

キックオフの前に、バンドが国歌演奏のために調律を始め、フィフス・サード・バンク・スタジアムの観客も起立した。演奏が始まった瞬間、チームの黒人チアリーダー5名が突然片膝をついた。

行動を起こす直前、5名のチアリーダー、ミケリン・ライト(Michaelyn Wright)、トミア・ディーン(Tommia Dean)、テイラー・マクヴァー(Taylor Mclver)、ケネディ・タウン(Kennedy Town)、シュランドラ・ヤング(Shlondra Young)は、祈った。彼女たちは、起こりうる反響について熟慮し、両親に相談したうえで臨んだという。

「人生でいちばん恐ろしい瞬間でした」とライト。「震えました」

インスタグラムに投稿された映像からは、観客のどよめきが聞こえる。しかし、この出来事は、のちにさらなる騒動を引き起こす。

事の発端は、2016年のNFLプレシーズン・ゲームに遡る。サンフランシスコ49ersの元クオーターバック(QB)、コリン・キャパニック(Colin Kaepernick)が、国歌斉唱時に起立せず、ベンチに座ったままで抗議の意志を表明したのがきっかけだった。彼は、有色人種に対する警察の暴力が看過されていることに異議を唱えている。彼に迷いはない。

「黒人や有色人種を抑圧する国旗に敬意を払うつもりはない」。キャパニックは、NFLメディアに語った。「この抗議は、フットボールより大切だし、見て見ぬ振りなんて私にはできない。道に死体が転がっているのに有給をとり、殺人を犯してもなんの咎めも受けない連中がいるんだ」

あれから約1年が過ぎた。大勢のアメリカン・フットボール・ファン、チームのオーナーは、いまだに彼のメッセージを無視し続けている。しかし、ケネソー州立大学の5名のチアリーダーを始め、アスリートたちは違う。

9月30日の試合の数週間前、5人は、彼女たちに何ができるかについて話し合っていた。彼女たちにはそれぞれ理由があり、何らかの〈公式な〉声明を発する必要があった。チアリーダーがフットボールの試合で膝をつくのは、抗議のためであろうと不自然ではない、と思っていた。

試合から数週間で、彼女たちは〈ケネソー・ファイブ(the Kennesaw Five)〉として、一躍有名になり、メディアにも大きく取り上げられた。反感や怒りもあったが、それ以上に多くの支持も得たという。

初めて抗議した日、ヤングはFacebookに以下のメッセージを投稿した。

「私は今日、平等のために、社会に蔓延する不正を糾弾するために、不当に命を奪われて抗議できないみんなのために、ひざまずきました。私がひざまずいたこの街では、いまだに南部連合を支持する風潮が残っており、このような事件の解決は後回しにされがちです。私は、ここではマイノリティです。でも、現在、何よりもまず、この国が必要としている〈結束〉のために行動しました」

他のチアリーダーたちも、警察による暴力、人種差別について、具体例をあげた。

「あんな命の落としかたはありえません。様々な事件を目の当たりにして、そう痛感しました」とディーン。「故郷のルイジアナ州でアルトン・スターリング(Alton Sterling)が殺害されたとき、他人事とは思えませんでした」

37歳のスターリングは、2人の白人警官に押さえ込まれ、胸と背中を撃たれた。2016年7月、バトンルージュで起きた事件は、大きな議論を巻き起こした。

「大学があるコブ郡の白人警官は、黒人しか撃たない、と発言していました」とタウン。「それを聞いて、状況を変えるためには、何か行動を起こさなければ、と決意しました」

タウンが言及したのは、ジョージア州アトランタ郊外での出来事だ。昨年7月、職務質問のために車を停めたコブ郡の警官は、不安げな白人運転手に、冗談交じりにこう告げた。「オマエは黒人じゃない。私たちは黒人しか殺さない」

ドライブレコーダーにこの会話が残されており、8月末には世間に知れ渡った。

警察の暴力で愛息を失った母親の悲しみは計り知れない、とライトは抗議に参加した動機を語った。

「もし、私に子どもがいて、そんな目に遭ったら、パニックになるでしょう」とライト。「親でなくても痛みは理解できます。あんなふうに子どもを喪ったり、誰かが亡くなるなんておかしいです。だからこそ、この事件に心を揺さぶられました」

ジョージア州で3番目に広い敷地を持つケネソー州立大学は、2015年にフットボール公式チームを創設した。オウルズは、全米大学体育協会傘下のビッグ・サウス・カンファレンスに所属し、ディヴィジョン I FCSに参加している。チアリーダーの抗議がなくとも、2017年は、結成間もないチームにとって重要な1年になっていただろう。チームはシーズン初戦こそ負けたものの、その後、連勝してカンファレンスの首位に立った。

2016年、黒人の市議会議員が誕生し、銃の所有を義務付ける条例を制定した、珍しい自治体であるケネソーだけに、チアリーダーへの否定的な反応が瞬く間に広がり、SNSは、5人が国旗と祖国を侮辱した、というコメントで溢れかえった。

今のところ、チームのヘッドコーチとチアリーディングのコーチは、抗議行動について沈黙しているが、ケネソー・ファイブによると、他のチアリーダーたちは彼女たちを応援しているそうだ。しかし、外部は違う。

コブ郡保安官のニール・ウォレン(Neil Warren)とジョージア州下院議員のアール・エールハルト(Earl Ehrhart)がケネソー州立大学のサム・オレンズ(Sam Olens)学長に、5人を処分するよう圧力をかけた事実が、地元『アトランタ・ジャーナル・コンスティトゥーション(Atlanta Journal Constitution)』紙による、3人のメールのやりとりの公開から明らかになった。

試合での抗議以来、ケネソー州立大学のチアリーディング部は、試合前の国歌斉唱のあいだ、フィールドに続く通路での待機を命じられた。大学当局は、この指示について、抗議以前から体育協会が決定していたプランだ、と繰り返し主張している。大学当局は、スタジアム入口の金属探知器設置、グラウンドへの学校ロゴのペイントなどを、その他の〈変更点〉として報告した。

5人のチアリーダーのもとにはメディアが殺到した。練習の場に、取材班が何度も訪れたという。「うんざりしました。あんなに大勢が話を聞きたがるなんて、想像もしていませんでした。最後には、話すことがなくなりました」とディーン。「でも、兄が力になってくれています」。記者が詰めかけて大混乱になったとき、ディーンの兄、ダヴァンテ・ルイス(Davante Lewis)は、あいだに立って対処してくれたそうだ。

「いろんな質問をされました。そのおかげで私たちの話が広まり、議論のきっかけになりました」とヤング。「否定的に捉えてはいません。前向きな出来事もたくさんありました」

Kelley L Cox-USA TODAY Sports.

5人は好意的な反応の多さに驚いたという。ヤングは、とある陸軍兵士から〈チャレンジ・コイン〉を手渡された、とFacebookに投稿した。仲間の勇敢な行動を讃えるために、このコインを贈るのが米軍の伝統だ。

ディーンは、ある退役軍人からメールを受け取った。抗議する権利を守るために海外で戦っていた、と主張する彼は、彼女たちはその自由を行使した、と称賛したそうだ。

「あなたたちを蔑む連中など無視しなさい、と彼は強調していました」とディーン。

最近、警察による暴力の犠牲者の遺族たちが各々、5人に記念の盾を贈った。贈り主なかには、〈自警団〉を自称する青年に射殺された、当時17歳の黒人少年トレイボン・マーティン(Trayvon Martin.)の母親、シブリーナ・フルトン(Sybrina Fulton)もいた。

「私たち全員に盾を贈ってくれました。彼女の優しさに感動しました」とマクヴァー。「この運動の中心にいるお母さんからもらった盾は、最高のプレゼントです。一生大切にします」

マーティンを射殺した青年の無罪評決は、〈ブラック・ライヴズ・マター(Black Lives Matter)〉運動の引き金となった。

「トレイボンの事件や遺族を知り、警察の残虐行為や社会的不正に立ち向かおうと決意しました」。盾を受け取ったあと、ヤングはFacebookに投稿した。

国歌斉唱にチアリーディング部が参加できなくなったあと、他の学生たちが5人のために立ち上がった。彼女たちが行動を起こした2週間後、キャンパスでデモ行進が始まり、学校のマスコットも正式な許可なしに参加した。大勢が支持を表明したのを知り、ライトは衝撃を受けたという。

「キャンパスでの大規模な運動、教授や学生からの大きな反響があるとは、予期していませんでした」とライト。「家族には事前に相談していましたし、応援もしてもらっていました」

それ以来、チアリーダーたちは、通路であれ、国歌斉唱時にはひざまずいているが、キャンパスでの活動は、徐々に下火になっている。

「なるべく否定的な要素は退け、みんなからの応援を励みにしています。国中のたくさんのみんなが応援してくれているのですから、本当に恵まれています。周りからの愛を実感しました」と卒業を間近に控えた最年長のヤングは語る。彼女は法律の学位を取得予定だ。

5人が奨学生の資格を失うかもしれない、との噂もあったが、今のところ大学側から彼女たちに公式通達はない。ジョージア州大学協会理事会(the Georgia Board of Regents)は、彼女たちの処分について、オレンズ学長への圧力があるか否かを調査する予定だ、と発表した。

「きっと同じことをするでしょう」とライト。「このような反応は期待していませんでした。行動を起こさなければ、こんな会話もできませんでしたから」

11月8日、大学は、国歌斉唱時のチアリーディング部への通路待機令を撤回した。